あいつは生まれつき、自分よりも他人を優先する奴だった。 顔も知らない他人の幸せだけを願って、そのためなら自分の全てを擦り減らせても構わない。 みんなが幸せなら、わたしも幸せ。 そんなどこか壊れた奴だったから、あいつの分までわたしがあいつを大切にしようと思った。 あいつがいつか、自ら燃え尽きてしまわないように。 ――――― 「コールゴッドの準備をする?」 「うん」 「だめよ」 「なんで!?」 またアリーチェがばかなことを言い出した。 こいつはいつも、平然と無茶なことばかり言う。だけど、流石に今回ばかりは認められない。 「なんでも何も、お前、コールゴッドの効果をちゃんと分かっているの? 古代神を呼び出したらどうなるか、まさか知らないだなんて言わないでしょうね」 コールゴッド。 自らが信仰する神を呼び出して願いを叶えてもらう究極の神聖魔法。 その力は人智を超えた様々な奇跡を実現させるが、そのために術者は呼び出した神格に相応する代償を支払わなければならない。 アリーチェが信仰する神は始祖神ライフォス。その古代神へと支払う代償は―― 「そ、それはちゃんと分かっているけど……でも、必要だと思って」 「ふん、やっぱりベルンの言うことを鵜呑みにしていたのね」 奇跡の魔女、ベルン。 アリーチェの友人でもあるその魔女は、今日わたし達に予言を伝えた。 『これからちょうど一年後、未曾有の災厄がラクシアに降りかかるわ。 世界は滅び、この時代の文明は終末を迎える。 まあ、誰かが古代神でも降ろして災厄の元凶を叩きでもすれば、この運命を変えられる可能性もゼロではないかもしれないわね』 あいつは腐っても魔女だ。いや、腐っているから魔女なのか。 ともかく、あいつの予言は一応信用出来る。本当にあと一年後に世界は終わってしまうのだろう。 だが信用できるのとあいつの言いなりになるのとは話は別だ。 「あいつはお前の危機感を煽って楽しんでいるだけよ。 本当にコールゴッドを使うならそれはそれで面白い物を見れるからよし、使わないならお前が真剣に葛藤する様を見てそれなりに楽しめる。どうせそんなところでしょ」 「そ……そう、かもしれないけど、でも」 「でも、何? お前は神に頼らないとわたし達が負けるとでも言いたい訳?」 アリーチェが冒険者になってからもう十年が経つ。 かつてはどこにでもいるちょっと泣き虫なだけの普通の少女だったアリーチェは、今やこの世界で知らない者がいない程の英雄にまで成長していた。 これまで、色々な戦いをアリーチェと共に駆け抜けた。様々な強敵を討ち倒してきた。数えきれない位多くの人々を救った。 世界が滅ぶほどの災厄だか何だか知らないが、わたしとアリーチェならきっと勝てる。 どんな敵が来ようとも、わたし達が負けることは決してない。 わたしはそう信じている。 「わ、分かった……じゃあ、コールドゴッドはしないから……えと、一年後の戦いに向けて、その」 「何よ」 「ガウェインさんを、召喚出来ないかな……って」 えへへ、とちょっと頬を赤らめて言うアリーチェ。 ……こいつには、そろそろ自分が無茶を言いすぎなことをしっかりと自覚させなければいけないのかもしれない。 ――――― 「はぁ、ハァ、ハァ……っ!」 敵の正体は不明だった。 宇宙の果てから降り注いで来た、誰も見たことがない、誰も理解することが出来ない魔物たち。 それらは瞬く間にこの世界を、この星を覆いつくしていた。 「アリーチェ……!」 魔物たちはその力を際限なく振るい、町を、国を滅ぼしていく。 これまでの脅威だった蛮族などとはもはや比べ物にならない。 蛮族が破壊を形にしたようなものだとすれば、この魔物達は滅びの化身のような存在だった。 しかし、それでも負けるわけにはいかない。 わたしとアリーチェは襲い来る魔物をなぎ倒し、それらを束ねる魔物の王へと、この災厄の元凶に辿りついた。 「退きなさい、アリーチェ!!」 だが、勝てない。 あの災厄には、誰も勝てない。 暴力を超えて振るわれる歪な腕は掠るだけでも致命傷。 醜悪な顔から放たれる未知の魔法は発動したら最後、対峙する敵の全身を一瞬で溶かす。 鱗に覆われた体はこちらの攻撃が全く通用しない程に固く、やっとの思いで与えたダメージは瞬時に回復してしまう。 そんな敵を目の前にして未だアリーチェが戦い続けていられるのは、偏にわたし達の神髄によるものだった。 少女英雄譚・果実色の声援(ストロベリー・チアーズ)。 アリーチェの勝利を願う者に呼応し、その力を増大させる奥義。 今、アリーチェの勝利を願う者はこの世界で生きる全ての者達。 人族も蛮族も関係ない。ただ、諦めずに災厄と戦い続ける彼女の勝利を皆が願っていた。 故に、今のアリーチェは無敵だ。どんな敵をも斬り伏せる刃、どんな攻撃にも耐える不屈の肉体。 勝てない敵などもはや存在しない。だが、それでも、 「勝てないわ、アリーチェ! もう逃げなさい!!」 ――勝てない。 皆が一心にアリーチェの勝利を願う中、わたしだけが敗北を確信していた。 アリーチェはもう限界だ。彼女はこんな理不尽な強さを持つ敵に勝てるほど強くはない。 彼女は本来、どこにでもいる普通の少女だ。 そのことを皆は知らない。 知っているのは、鍛え上げられた力と折れない精神で人々を救う、英雄アリーチェとしての姿だけ。 人々の記憶に刻み込まれた英雄としての功績。 今までアリーチェが積み上げてきたものが、彼女を今限界まで追い込んでしまっていた。 もう、魔物の王と戦い始めてから七日が経とうとしている。 アリーチェはいつ死んでもおかしくない状態だ。 例え世界から力が供給され続けようと、アリーチェの体がこれ以上は持たないだろう。 「そう、だね……勝てないや……」 アリーチェがポツリと呟いた。 やっと、やっと返事をしてくれた。今はそれが何よりも嬉しい。 アリーチェはついに諦めてくれた。世界の期待を裏切ってでも、滅びを迎えようとも、自分の命を優先した。 だったら、後は撤退するだけだ。逃げるだけならきっと何とかなる。 その後のことなんて、アリーチェさえ生きていてくれたらわたしにとってはどうでもいいことだ。 「やっぱり、わたし達だけじゃ……勝てなかったね……」 アリーチェが、聖印を、握りしめる。 「……待ちなさい」 瞳を閉じる。祈りが、捧げられる。 「お願い、待って、アリーチェ」 そして、聖印が砕けた。 「いや……いや、いやよ……! やめて、アリーチェ……!!!!」 どうして、気付かなかったのだろう。 アリーチェが一年前から、儀式の準備をしていたことに、どうして気付かなかったのだろう。 何故、この七日間、彼女がわたしに隠してコールゴッドの行使を続けていたことに……気付けなかったのだろう。 世界中から無限の力を集める、少女英雄譚・果実色の声援。 その刃に更に加えられる力。それは、始祖神ライフォスの聖なる奇跡。 ――ごめんね、アリス。 「――――――――!!!!!!!」 アリーチェがわたしを振るう。 放たれた純白の炎が、全てを飲み込んでいく。 その身を犠牲にして人々を救い続けた英雄への願いが、古代から続く始祖神への信仰が、彼らの敵を討ち滅ぼす。 ……消えていく。 大地が消える。空が消える。白の輝きに巻き込まれた何もかもが、消えていく。 消えていく。 消えていく。 消えていく。 消えていく。 消えていく。 わたしのただ一人の使い手は、もうこの世界のどこにもいない。 ここにはもう、何もない。 ――――― まるで、まだ自我の芽生えていないただの魔剣として作られたばかりのあの頃に戻ったみたいだった。 アリーチェを失った瞬間、わたしは自分の中身が全て抜け落ちてしまっていた。 あいつはわたしの全てだった。そんなの当然だ。だってわたしは、あいつの魂から零れ落ちて生まれたのだから。 なのに、どうして、失ってから分かってしまったのだろう。 わたしはあいつのことを、この世界で誰よりも、愛していたんだ。 「……アリーチェ」 空っぽになった心に火種が落ちる。 「アリーチェ。アリーチェ、アリーチェ、アリーチェ、アリーチェ……!」 あいつの名前を口にするたび、心に灯った火が大きく燃えていくのを感じていた。 火は心から魂に、魂から刃へと燃え広がる。 溢れ出た炎があいつの体を形作る。今はもういない、あいつそっくりの姿がこの世に現れる。 わたしの名前はアリス。 二人で一つの少女。アリーチェのその半身。 ――――― あれからどれほどの時が経っただろう。 もう流れた年月も、取り込んだ魂も数えきることが出来ない。 穢れた魂ばかり食らっていたから、わたしの体もあの頃とは全く違ってしまっていた。 いつの間にか赤い髪は白く変色し、背も伸びて体格も変わった。 唯一変わらないように見えた赤い瞳も、優しく温かい赤色をしていたアリーチェとは似ても似つかない、血だまりのような紅になってしまっている。 そんなわたしの姿は人々にとってどう映っていたのか。 無銘の剣(セイバー)。 彼らはわたしを、そう呼んでいた。 でも、別にいい。 そんな些細なことと引き換えに、わたしは強大な力を手に入れることが出来たのだから。 これだけの力があれば、きっと古代神さえも倒すことが出来るはずだ。 神へと挑む時がついにやってきた。 覚悟して待っていなさい、ライフォス。今、お前を殺してやる。 そして、待っていなさい、アリーチェ。 わたしが、今あなたを……解放してあげるから。 fin